第二章 「脅   威」




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 高麗半島における戦闘が事実上収束し、機動部隊、ロメオ支援艦隊が日本への岐路について三時間が経過しようとしていた。艦隊周囲150Kmにわたる制空海権は依然保たれており、艦隊全体には極限の緊張状態から開放された穏やかなムードが流れつつあった。
 『飛鳥』艦内でも、祖国が中距離弾道ミサイルによって攻撃された事、つい先ほどまで行われていた戦闘、拉致邦人の救出作戦の成功についての話題は、今では、残してきた家族や恋人について、行着けの飲み屋の女に会いに行こうといった身近な話に変わっていた。しかし、CDCスタッフにあっても通常任務に戻されていたために落着いた雰囲気が戻っていたが、『飛鳥』艦長 笹岡を含めた司令部幕僚達の表情は未だ硬いものがあった。


「敵の反撃の兆候は無いか?」艦隊司令長官 北岡 文雄 中将は作戦幕僚 樽見 良友 准将に訊いた。
「全く有りません。本艦隊の制海空権は完璧に保たれております。」
「そうか‥‥。米軍の作戦進捗はどうか?」
「はい、1500時の時点では仁川湾沖にて3・1任務部隊、ソウル沖にて3・2任務部隊がそれぞれ南海艦隊および敵基地航空戦力と交戦中との事でした。米海軍、海兵隊の投入戦力は高麗国軍の戦力を完全に凌駕していると考えますので、敵港湾突入上陸は時間の問題かと思われます。」
「米軍の敵首都制圧に掛かる時間をどのくらいと見積もる?」
「アメリカ国防省担当官との作戦刷り合わせでは、制空権完全奪取の後、我方のトラック諸島春島空自基地に進出待機していた米空軍輸送機編隊が第311強襲海兵団の空挺兵500名を降下させると同時に米陸軍機械化兵団の上陸を慣行し首都を内外から攻撃する予定との事でしたから、高麗政府を抑えるだけであれば、順調に作戦が進捗したとして三日ほどで制圧を完了させるしょう。」
「三日か‥‥、すさまじいな。」
「あくまでも順調に進捗しての話です。敵も必死でしょうし、何が起こるか判らないのが戦場ですから。」
「うむ、そうだな。」そう言いかけた時、不意に悠美が報告を上げる。
「米第3・2任務部隊から緊急伝を傍受、読みます。『われ、正体不明の兵器の攻撃を受けつつあり。被害甚大、救援を求む。』平分です。」突然の事態にCDC内が騒然となる。
「なに?」
「平分の緊急伝だと?」
「正体不明?」その報告でCDCスタッフの緊張が一気に高まる。北岡はトップダイアス司令官席の椅子から立上がりながら命令した。
「通信士!直ちに米第七艦隊旗艦『ブルーリッジ』司令部を私の名前で呼び出せ。樽見 准将、可及的速やかに現状を把握し報告せよ!」
「はいっ、『ブルーリッジ』司令部を呼出します!!」通信士 高畠 祐子が復唱し、同時に樽見が「はっ!」と踵を返して一段下の自分のコンソールへ向かう。CDC全体がきびきびとした命令、復唱の喧騒に包まれる。それから三分ほど経過して(実に長く感じられる三分であったが)祐子が報告を上げた。
「『ブルーリッジ』応答無し!他の艦隊旗艦も呼び出しましたが全て応答が有りません。データリンクも途絶しています。」
「何だと!!」『飛鳥』艦長 笹岡が艦長席から立上がり、通信士席へ駆けつける。
「国際救難周波数帯を使って再度呼び続けるんだ!」
「はっ!!」
祐子が答えた直後、CDCの艦内スピーカが鳴った。
『こちら艦橋!半島の稜線に異変です!!まるで陸地全体が赤く燃え上がっているように見えます!!』
「何だと!!メインパネルに後方監視カメラの映像写せ!」
「アイ・サー!!」
笹岡の命令に対して復唱が飛ぶとメインパネル上に『飛鳥』艦橋トップに位置する射撃指揮所後方に取り付けられた後方監視カメラの映像が映し出された。

「何だこれは!!」笹岡が愕然としながら言った。メインパネルに映し出される映像の光に照らされ、CDCスタッフ一同の顔は朱色に染まっていた。




高麗半島 
威功湾より150浬沖合2万7千フィート上空




 日本への岐路に就いた日本機動部隊の後方165Kmの位置にあってTFCAP(艦隊防空戦闘哨戒)の任についていた航空護衛艦『翔鷹』所属のF/A−37A、機番798、781の二機はエリー・フライト1・3、1・4のコールサインを与えられ、ゆったりとした軌道を描いて左に旋回していた。高麗半島においての戦闘状態は事実上収束しているため、三分ほど前にBACAP(防護壁戦闘哨戒)にあたっていたエリー2・3、2・4の二機はRTB(帰還)が命じられており、この他現在、飛行している機体は艦隊前方170Kmの位置をTFCAPするエリー1・1、1・2の二機編隊と艦隊直上を飛ぶAEW(早期警戒機)だけであった。

 あと一時間でやっと交代ね。 ― 咲野 明日夏 三等海尉(TACネーム:アスカ)はエリー1・2、編隊長機の五マイル後方でコンバットスプレット隊形の二番機で操縦桿を握っていた。彼女は一般大学を卒業後、海上自衛隊に任官したいわゆるU採用隊員であった。関東州 神奈川県綾瀬出身で 厚木 国防軍飛行場近くの実家で生まれ、幼い頃から厚木に離着陸する空自、海自の軍用機を見て育ち、いつしか空に憧れをいだくようになった。中学二年生の頃、一つ年上の幼馴染に恋心を抱いていたが、幼馴染の卒業式がせまった在る日、彼女は告白を決意したが彼を呼び出した放課後の校舎裏で「実は俺‥‥軍に入ることにしたんだ。戦闘機の操縦士になりたいんだ。軍付属の空専(国防軍高等航空術課専門学校)に受かったから‥‥、卒業したらもう、明日夏と会えなくなるな」と逆に打明けられ、結局、自分の気持ちを伝えられないまま彼の卒業の日を迎えてしまった。明日夏は幼馴染の事を忘れようと勤めた。彼女が大学に入り二年目、テレビの特集番組で海上自衛隊の戦闘機パイロットとして第一線で活躍していることを知った。それが明日夏を海自の艦載機パイロットになろうと決意させた切っ掛けとなったのだ。
 機体は機首を高麗半島の方角に向き始めたところだった。
 「きゃっ!眩しいっ!!」不意に目の前が真っ白になった。
 ヘルメットのスモークバイザーを下ろしていたため、網膜を焼かれるような事は無かったが、それでも数十秒視界が真っ白な光に閉ざされてしまう。
 『アスカ、大丈夫かっ!!』編隊長機の相原 幸一 一等海尉の声がヘルメットに内蔵されたヘッドフォンから流れる。
 「ツ、ツー!でも目が眩んじゃって。」
 『俺もだ。オートパイロットを入れよう。出来るか?』
 「な、なんとか。」
 『よし。幻惑が収まるまでの措置だ。オートパイロット3、2、1、ナウ。』相原はオートパイロットをコールすると、無線のチャンネルを切替え『翔鷹』を呼び出した。
 「こちらエリー・フライト・リーダー、アスリート、聞こえるか?」“アスリート”は航空護衛艦『翔鷹』の呼び出し符丁だった。
 『こちらアスリート、エリー1・1どうした?』『翔鷹』戦闘航空管制センターの通信士官が通信に答える。
 「たった今、高麗半島方向より強い閃光を確認した。わが編隊は視野を幻惑されたため、オートパイロットにて飛行中。何が起こったのか確認を請う。」
 『閃光はこちらでも確認した。かなり強いものだったが大丈夫か?状況については確認中だ。』
 「バイザーのお陰で多少目は眩んでいるが、大分回復してきた。」
 『TFCAPはそのまま継続せよ。追ってこちらから指示を‥‥』そこまで聞いたところで突然機体が激しく揺すぶられた。
 「し、しまった!!」― さっきのは唯の閃光じゃ無かったんだ。これは爆発の衝撃波か?! ― 相原は後悔しながらゴチた。
 「きゃーーーっ!!クーガーさん!!」明日夏は激しく揺さぶられる機体を立直そうと必死に操縦桿と格闘しながら、思わず相原のタックネームを叫んでいた。シートベルトのハーネスに身体を締め付けられ、頭をヘッドレストに激しく叩き付けられて気を失いそうになるのを必死に耐える。計器パネルの警報ランプが幾つも点灯し、警報アラームがけたたましく鳴り始めた。衝撃波をもろに食らい、機首が大きく上がり急激に迎角が増大してしまったために、主翼下部に位置するエンジン空気取入口の内、左側エアインテークへの空気の流入が遮断され、左エンジンがストール、停止してしまう。すると機体は右エンジンの推力で左に大きく偏向し始め、今度は左主翼の揚力が失われ回復不能のフラットスピンに入ってしまった。

 「メーデー、メーデー、エリー1・2、アン・コントロール!アン・コントロール!!きゃーっ、コントロール出来ないっ!!」左エンジンの排気温度計の針が跳ね上がり、ボン!という音と共に爆発した。
 『うぉぉぉっ、くそっ!さ、咲野!!ベイル・アウトしろ!!』相原の機体も同じような状態であったが、かろうじてコントロールを取り戻す。機体の振動は収まり、一度水平飛行に戻した後左に横転させ背面飛行にいれて、明日夏の機体を探す。― 見つけた!! ― エリー1・2号機は既に1万フィートを失い、機体の垂直軸を中心に回転させながらさらに高度を失っていく。

 「うっ、くぅっ!お、落ちてたまるか!!」明日夏は右方向の遠心力に逆らいながら何とか左エンジンの燃料をカットし、右エンジンのスラストレバーをアイドルセット、出力を最低に絞ると、機体背面のエアブレーキを立ち上げながらドラックシュート ― 制動用パラシュート ― のレバーを引いた。ガクッという衝撃と共に機首が下がり、垂直方向の錐揉み“スパイラル・スピン”に移行する。ドラッグシュートが機体の重量に耐えかねてパラシュートに繋がるワイヤーがバシッという音と共に千切れると、機速はたちまち上がり、やがて方向舵が利き始めた。明日夏は機体の旋転方向と逆、右足のフットバーを踏込んで機体の回転を止め、右エンジンの推力を上げてエアブレーキを畳み、操縦桿を徐々に引き付けてゆっくりと機体を水平に立て直した。
 身体に掛かっていた遠心力も抜けほっと息を抜いた。息が上がっている。気持ちが悪い。しかしそう思うのも束の間、ヘッドセットが鳴り、相原の声に意識が引き戻される。
 『咲野、大丈夫か!?左エンジンが火災を起してるぞ!!』
 相原の呼びかけに我にかえる。
 “ やだっ!自動消火装置が動いていない!!”
 明日夏はあわてて手動で左エンジンの計器盤左側中ほどにある黄色と黒のゼブラ模様のツマミ−消火装置のスイッチを手前に引きつけると、直ちにエンジン周囲に装備された消火ボトルのコックが開き、圧縮された消火液と二酸化炭素が延焼している部分に吹き付けられ、白い煙と共にたちまち炎が消えていく。
 「よし、火は消えたようだ。母艦まで戻れそうか?」
 言いながら相原は、明日夏の機体の左真横に機を並べると二番機のコックピットに視線を向けた。
 『ツ、ツー、何とか。』相原のヘッドセットに息苦しそうな明日夏の声が聞こえる。
 「これからお前の機体の損傷度合いをチェックする。そのまま真直ぐ飛行しろ。」
 『お、お願いします。』
 相原は明日夏の機体の真下に滑り込ませ、胴体下面に損傷が無いか目視でチェックしていく。左エンジンノズルから黒煙を曳き、機体の後部は左側が黒く焦げたように煤けてはいるが、その他は問題ないようだ。
 『よし、左のエンジン以外は大した事なさそうだ。燃料はどうだ?』
 「はぁっ、はぁっ、2万5500ポンド、だ、大丈夫です。」
 『よし、母艦へ帰るぞ。』 相原はそう告げると無線機のスイッチを操作し、周波数を『翔鷹』の管制周波数に合わせてから通信を送り始めた。
 『エマージェンシー、エマージェンシー、アスリート、こちらエリー1・1」
 『エリー1・1、こちらアスリート。どうぞ。』
 『エリー1・2が先ほどの衝撃で損傷した。エリー1・2は飛行可能だが左エンジンアウト。RTBしたい。』
 『エリー1・1、了解しました。こちらは既にエリー1・5、1・6が発艦。そちらのカバーに向かっています。RTBを許可します。』
 『エリー1・1ラァジャ。咲野、帰るぞ。』
 「ツー。‥‥ふぅ。」明日夏は深く溜息をつきながら心の中で呟いた。“秀吉くん‥‥、会いたい。会いたいよぅ”涙が不意に込み上げてきた。

 「しかし、あの光と突風、一体何が起こったんだ。高麗軍の核兵器か?」相原は母艦である『翔鷹』に機首を巡らせながら一人ごちた。背後の景色は今だ茜色に燃えているようだった。



PM 2:50
航空装甲護衛艦『飛鳥』CDC



 突然の事態にCDC内は騒然としていた。閃光が走った後、通常の核爆発等の爆発現象であるなら、「爆発音」が聞こえても良いはずであったが、この現象に限っては「爆発音」と思われる音は一切観測されず、閃光の後、数分の時間を置いて衝撃波と突風が観測された。幸にして、閃光の発生源が高麗半島の反対側であったために、艦隊や日本本土が直接の被害を受ける事は無かったが、台湾、シナ海沿岸や南沙諸島の一部では数十メートルの津波が襲い、相当の被害が出た模様であった。また、高空を飛行する航空機に関しては、先の衝撃波と突風により『翔鷹』所属の艦隊防空哨戒任務に就いていたF/A−37二機編隊の一機が機体を損傷し、航空自衛隊のAWACS、EYS−101もロートドームに障害が発生し、小松基地に緊急着陸命令が出されている。戦域外を飛行していた民間航空機に至っては言わずもがなで墜落した機体も数十機に登っていた。


「偵察衛星からのデータリンク途絶!!」
「我が方の衛星がか?」『飛鳥』電測士 篠坂 唯子 三等海尉の報告に樽見が言った。
「本当なら現在高麗半島上空に達する筈ですが、こちらの問い合わせ信号に応答しません。」唯子が答える。
「GPSにも障害が発生しています。航法衛星の位置がつかめなくなっています。」『飛鳥』航海長 清水 明 二等海佐が続いて報告する。
「敵のECMの影響ではないのか?」
「いいえ、敵にその能力はもはや有りませんので。司令、直ちにRF(偵察機)を上げますか?」樽見は振り返りながら北岡に問いかけた。
「‥‥いや、しかし準備だけはさせておけ。エスコート(護衛機)も一緒にな。」
「はっ。RF発進準備させます。」
「『鳳翔』にRF発進準備の上待機『翔鷹』にはFI(戦闘機)を発進準備のうえ、待機させよ。樽見幕僚、RFの件、『長門』(自衛艦隊司令部)の指示出るまでの間、本艦並びに一機艦(第一機動艦隊)は艦隊速力10ノット。以外の艦はこのまま本土に帰還させよ。」
「はっ。RFの必要性を自衛艦隊司令部に上申。一機艦以外はこのまま帰還させます。」
「篠丘艦長、本艦進路270、速力10、取り舵。」
「艦長了解。本艦進路フタナナマル、速力ヒトマル、宜候。とーりかーじ!!」篠丘は真直ぐに前を見据えながら下令した。
「本艦進路フタナナマル 速力ヒトマル、とーりかーじ!!」航海長 清水の復唱が響いていた。






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 アメリカ合衆国 国防省は1982年9月1日に宇宙軍を正式に発足させていた。但し、宇宙軍といっても宇宙空間に存在する数多くの様々な用途を持つ軍用人工衛星や、広大な宇宙空間に存在するかもしれない未知の脅威に対抗する為の軍組織であり、アメリカ合衆国宇宙軍としての存在は余り知られていない。しかし、この組織は、NASA ― アメリカ連邦宇宙局 ― や国公立私立大学の宇宙関連研究室や民間の宇宙研究施設などと綿密な連携が取られ、常にこの星を取巻く広大な空間に目を光らせていた。中でもこの「統合司令センター」は宇宙軍の司令塔とも言える部分であり、セキュリティも厳重になされていた。同じ軍組織でも、ここでは現在アジアで起こっている戦闘の事よりも、突然起こった“怪現象”に対する解析や対処に追われていた。

 約一年前の2004年2月18日、スミソニアン天体物理観測所で“特異現象”が観測されたことが事の始まりであった。当初、それは宇宙空間にぽっかりと開いた“黒い虫食い穴”の様に見えた事から、研究者達の間で『ワームホール』と呼ばれていた。当初は恒星の成れの果て、黒色矮星の様なものではとの仮説も立てられたが、この“物体”の後方の恒星や銀河などが発する光が、途中にある天体などの重力によって曲げられたり、その結果として複数の経路を通過する光が集まるために明るく見えたりする“重力レンズ効果”が見られないこと、物体の周囲にかなりの量の熱量が観測されること、それに何よりも、“明確な意思を持って”いるかの様に地球に接近してきていることから、ダイソン球(恒星を「卵の殻の様に覆ってしまう」仮想的・仮説的人工構造物。恒星が発生させるエネルギーの全てを完全に利用する事が可能で、宇宙コロニーの究極の姿)の原理を応用した地球外知的生命体の巨大な宇宙空間航行船説が浮上するに至った。当然ながら、多くの天文科学者がこの説に対して反論争を繰り広げたのだが、この天文史上初の未知の観測物体について、このような仮説でも立てなければ説明が付かなかった為に有力説とされることとなり、また、早い時期から世界中の天文科学者達に情報公開されたため、地球外知的生命体探査(SETI (セティ) :Search for Extra-Terrestrial Intelligence 地球外生命による宇宙文明の存在を検知しようというプロジェクトの総称)研究機関からも注目が集まっていた。

 未知の物体は光速の二倍の速度で地球に向かって来ていて、直径は30キロメートルほどで有ると観測されていたが、それが地球に近付いて来るにつれてそれが真球に近い球体であり、その直径も約数百キロメートルもある事が判明した為、単に黒い星、『ダーク・スター』と言うコードネームが付けられた。また、この“物体”の動きには明らかに何者かの意思が働いているように思われた。移動の速度はおおむね一定していたが、月に一度、“移動距離の大ジャンプ”が起こり、一瞬のうちに、それも常識では考えられ無いような距離、約一〜二万光年を一気に飛び越えてくるのだ。
 この大ジャンプが初めて観測されたのは2004年3月も中旬のことだった。この観測所の研究員エミリオ オスカーが、『ワームホール』の詳細データを記録しようと、アメリカ国内の主要天文台からリンクされている電波望遠鏡から送られてくるの天体観測用ディスプレイを覗き込んだときにそれは起こった。この対象はディスプレイのCG画像上で赤い四角で囲まれていて、その位置が一目でわかる様に表示されていた。ディスプレイ右横五分の一ほどの一角には、観測対象の地球からの距離、速度やベクトルなど数々の詳細なデータが表示されていた。

 その日、エミリオは一人徹夜でこの物体に関する報告論文をまとめ、最後の仕上げにとディスプレイの画像をそのままキャプチャ使用とキーボードのキーを操作し、エンターキーを叩いた時だった。それまで画面上に表示されていた赤い四角が突然消え、そこに“LOST”の文字が浮かんでいると同時にデータ表示エリアの数字達が全て“ ― ”に変わってしまった。

 「うぇ、ど、何処へ行っちまったんだ?」

 エミリオは顔色を変え、再びキーを操作し始めた。相手は小惑星ほどの質量を持った物体だ。突然消えてしまうなんて有りえない。システムエラーかもしれないと訝りながら装置の再起動を試みようとした時だった。『ピ!』という電子音と共に赤い四角が再び表示された。

 「お、治ったのか?」

 一人ゴチしながら、詳細データの表示をチェックしようと視線を移動した。「!」距離データの数値を見てギョッとした。エミリオは物体が消える前のデータを別のウィンドウで表示させ、現在のデータと比較する。

 「一体どうなってるんだ?こいつ、二万光年もジャンプしちまってるぞ。‥‥僕は疲れてるのかな?‥‥いや、データは正直なはずだ。」

 エミリオはあわててコンソール脇に置いてあるビジネスホンのハンドセットを上げて外線ボタンを押すと素早くダイヤルキーを叩いた。受話器から呼び出し音が流れ待つこと数十秒、通話が繋がり、相手の眠そうな声が答えた。「‥‥、どなたかね?」

 「ボーエン室長、お休みのところ朝早く申し訳ありません、オスカーです。そうです、例の奴に変化がありました。はい‥‥、はい、そうです、‥‥。」

 この日のこの出来事がそれまで積極的に動こうとしなかったアメリカ政府の重い腰を上げさせた。『ダーク・スター』に係わる観測調査機関はアメリカ合衆国宇宙軍直属のSTEI機関での本格的調査部門が作られ、政府直轄の重要関心事項となったのだ。
 そして現在、既に物体の位置は、地球からたった35天文単位(1天文単位(AU)は149,597,870kmで太陽から地球までの軌道長半径距離を1AUとしている。太陽〜海王星間の軌道長半径は30.06896AU)の位置まで迫っており、この一週間の間、この物体はほとんど静止状態にあった。



 
2005年4月10日 AM 6:38
アメリカ コロラド州 シュリーファー空軍基地
国防省 宇宙軍 統合司令センター



 「き、消えた!『ダーク・スター』が消えました!!また、ジャンプしたものと思われます!!」
 「なに!?、何処に現れる気なんだ奴は‥‥?」
 「いつもの規模なら、太陽を越えて木星の軌道上あたりに出現するものと思われますが‥‥、いやな予感がします。何しろコイツは人類 が初めて出会うかもしれない宇宙人の作った代物かもしれないんですから。」

 司令センター内に、しばし沈黙が流れる。5分ほどが経過したところで、スタッフの一人が叫んだ。

 「『ダーク・スター』出現!!位置、ほぼ月の軌道上に出ました。詳細データ、現在解析中!!メインディスプレイに外宇宙監視衛星の映像、出します。」
 統合司令センター局長、レオナルド キリア少将は、司令センター正面に据付けられている100インチ液晶スクリーンの映像に釘付けになった。
 「これが、『ダーク・スター』なのか‥‥。」

 大スクリーンに映し出されたそれは、巨大な黒い球体であった。完全に光を吸収している訳ではなく、太陽の光を浴びて一部鈍い光を反射している。見るものに何処か禍々しさを感じさせる雰囲気を漂わせていた。
 「『ダーク・スター』から地球までのの距離が縮まってきています。このままではあと20時間ほどで地表に激突してしまいます。」
 「『ダーク・スター』の質量は計算出来るか?大まかでも良い。それと、大統領に緊急連絡だ。」



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